造船の神様平賀譲が巡洋艦に対して苦肉の策で取り入れた縦隔壁
これにより魚雷対抗能力が落ちて横転しやすかったということらしい
駆逐艦においては後に改善されたものの、ボイラー配置が連続していたため沈没しやすかったとのこと
【科学で検証】太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ———-
あまり知られていないが、太平洋戦争では日本の軍艦は魚雷攻撃に非常に弱く、いとも簡単に沈没していた。
そのため戦艦大和は行動が制限され、海軍の基本戦略は齟齬をきたしたのである。
なぜ日本の軍艦はそれほど脆かったのか?
映画『アルキメデスの大戦』で製図監修をつとめ、大和などの設計図をすべて描いた船舶設計のプロが、このほど上梓した『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)で指摘した、日本の軍艦の致命的な欠陥とは?
———-(以下略、続きはソースでご確認下さい)
現代ビジネス 9/26(土) 6:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7da3d000fc63ab2b39d45440b3e1d75357b4279
大和については特に書いていませんでした
後のレスの中にもありますが米軍が武蔵との戦闘記録で攻略法を研究したというのが正しそう
【科学で検証】「造船の神様」の過ち…太平洋戦争中、日本の軍艦が次々と沈没していったワケ [すらいむ★]
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1601190281/
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 – 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将 従三位 勲一等 男爵 工学博士。東京帝大総長、東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・平賀徳太郎は海軍軍人。
大正時代から昭和初期にかけて海軍艦政本部で艦艇設計に従事し、妙高型重巡洋艦などの画期的な重武装艦を設計したことで知られる。
Source:平賀譲 – Wikipedia
以下ネットの反応
負けたのは陸軍のせい
海軍は無謬
じゃなかったのか?
それで、日本陸軍への補給線があちらこちらで寸断され、多くの陸軍兵士が飢餓に苦しんだ。
しかし、戦後、東京裁判の時、海軍の面々は、陸軍を悪玉にしたてあげ、すべての責任をおっかぶせた
だいじょうぶどっちもどっち
ただそれにアメリカが騙されたのが現在日本の破滅の原因だねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
東郷平八郎が存命でご意見番のようにふるまっていたのも原因と言われている
山本五十六は東郷元長官は老害過ぎで困ったお人だと思ってたらしいで
大和の同型艦の武蔵は
魚雷を腹に食らっても、暫く分からなかったそうだよ
寄港した時に外壁歪んでたので、ようやくそこで修理した
っつーのは、側面に積層装甲(チョバムアーマー)使ってたのと
仮に穴を開けられても、船底をブロック構造にする事で
水が入った隔壁を閉鎖して>反対側にも水を入れる事で、延々と浮かんでいられた
三菱の技術力半端ねーなw
アメリカが圧倒的なパワープレイで攻めたんだから、はっきり言って船体の構造なぞあまり関係なかったが正解
被害が大きすぎただけのような気がシル
正解。被害が大きすぎた
大和は条約型戦艦なら二隻沈められるほどの被害で沈んでいった
大和は強かった。耐久性は非常に強い。だがアメリカは圧倒的な攻撃で沈めたんだ
大和は一方に攻撃が集中したので反対舷にも注水した
記事では「船体の中央を縦に走り、左右を隔てる縦隔壁が入っていました。」
とか訳分らん事書いているがそれがあろうと無かろうと結局は同じというか
この隔壁が無ければ史実以上にさっさと沈没しただろうな
なぜなら一気に浸水していくだろうから
そういうこと。
コンクリで固められた横須賀の戦艦三笠、
それが最上の軍艦の最後www
片側集中攻撃するようになるのは当たり前の結果。
日本も逆の立場なら同じ事したさ。
バカなの?
圧倒的な敵の空軍力に負けたのだが
潜水艦にも負けたな…
そして今の自衛隊の装備群がある。
戦艦大和は日本人の情緒に染み入るが、客観的にはウドの大木だった
変な忖度で正しい批判ができなくなるのは、ジャパニーズの民族的欠陥だと思うよ
そんな日本ですら大和型の三番艦は空母に変更になったくらいだから戦略的に時代遅れだった以外の何ものでもないね。
そもそもアメリカと(表向きで)全面戦争にしちゃった時点で海軍は陸軍よりアホだったような気もするけど。
1942年に戦艦をあきらめた日本
1944年になっても戦艦を就役させたアメリカ
どちらに先見の明があったかのかは明らかだ
日本は用意周到だった
空母もアメリカより少ないし短期間で建造もできないことは事前にわかっていた
だから短期間で空母に改造できるよう事前工事を済ませた船をあらかじめ作っていた
アメリカは余力があっただけ。空母を何十も作るよりは2、3隻減らしても万一のために戦艦作ってただけ
大体日本だってもし空母が一隻も沈んでなければ信濃は戦艦になってたろうよ全く状況が異なる
砲撃をすると船の揺れがあまりにも激しく、震動が落ち着くまでに時間が掛かる。
特に正面ではなくて側方に向けて主砲を撃つと揺れが極端に酷い。
また主砲の発射寿命は僅か3000発という設定だった。
上空が雲に覆われているときに、敵飛行機集団がいそうなところへ向けて
散式弾を撃ってみようとすらなぜしなかったのだろうか。
実際、ディーゼルを実験的に採用した大鯨は散々な結果だった。
機関は信頼性が重要。
蒸気タービンでなくディーゼル機関で動いていた戦艦がいるのか?
重視していました
全てはこれに尽きるだろ、ミッドウェーで4隻の空母が魚雷じゃなく
ドーントレスの急降下爆撃で撃沈されたのも爆破の威力を逃がす構造じゃなかったからだし
無いね
戦艦に採用できるディーゼルはどの国も持ってない
ドイツもアメリカも開発できなかった
>>24
発進待機中の空母に被弾したらアメリカ空母もそうなる
駆逐艦の生存率は機関のシフト配置の有無で大差なし
アメリカの艦船を救ったのは味方だよ
航行不能になっても味方が曳航したから放棄して処分に至らない例が多かった
ドイツのポケット戦艦~後に重巡に~はディーゼル機関(もっとも、問題が無かったわけじゃなく故障も多かった)
今度やったらアメリカにも負けないだろうさ
元は取ったよね。実用重視でブサイクな小型艦10隻より、役立たずでも格好良い大和の方が観光資源として
結果的に良かったと思う。大鳳も爆沈するなら鮮明な写真くらい残して欲しかったわ。
間違ってる事にみんな気づいてるのに上司に言えない
まるでうちの会社だ
と言うか典型的な日本人組織って事かな
結局言ってる事は被害を受けてもダメージが拡散しないように
区画割りを増やしたり機関部を分散配置にしたりしてなかったと
従来から言われてる事の繰り返し
今更この内容の物を科学で検証とかいうタイトルを付けるような
記事じゃないだろうと思うけどな
船はどんなに区画を細分化しても攻撃を受け続ければ何れは沈むよ
だから近代艦は艦体で攻撃を受け止める直接防御を捨てて
攻撃兵器そのものを叩き落とす方向にシフトしてるだろ
現在の戦闘艦はその理由で装甲を持っていないわけだが
いくら何でも脆すぎるから何とかしろという要望もある
区画割りを増やしたから横転しやすくなったと書いてある
欧米の船にはない船体の中央を縦に走り、左右を隔てる縦隔壁のために
片側を攻撃されると簡単にバランスが崩れたらしい
現代でもままあるコトで。
空母7隻、軽空母5隻、戦艦6隻、重巡2隻、軽巡9隻、駆逐艦30隻以上
これが大和と軽巡 1隻と駆逐艦8隻に襲いかかったんやで
もし同じ総トン数の戦艦が相手だったとしても、そらあっという間に沈むわな
機関のシフト配置にしなかったのは、そっちの方がボイラーを多数配置して速力が出せるから
二か所に2つずつのボイラーは置けなくても、一か所に3つのボイラーなら置ける
近海で戦った日露戦争しか経験してない海軍はダメコンの重要性がわからず、速力や航続距離しか要求しなかった
魚雷をあてることには熱心だったけど、自分に当たった後のことは考えていなかったのが敗因
間に合わない艦艇が多いなら開戦位置を下げろよ
雷撃に対して弱点を増やすデメリットもあり、米英の戦艦では恐れていたことが現実になった
まあ日本も雑木林からシフト配置になったけどね
お前みたいに欠点ばかり注視して総合評価できなかったので負けたんだよ
減点法主義ってのが批判されるわけである。
機関のシフト配置が生存性を高めたというのは伝説でしかない
船体の大型化を招き生産性も低下させるのは大量生産に不利になる
むしろ戦力の充実を阻害した可能性があるのだ
軍艦が使い捨て兵器と化した第二次大戦の被害分析では、機関シフト配置の優位性は証明されていないのだ
>>57
評価基準が無いので比較の根拠がない
ゆえに、設計を変更する根拠を説明できない
説明責任を果たさずに新技術の採用に踏み切るのは技術者の暴走だ
3号艦の信濃はわずか2発で沈んだ
お鍋や包丁溶かした鉄と鋼鉄じゃ強度が全然違うんだよ
司馬遼太郎が自分の経験として書いてるが
初期の戦車は工具で擦っても傷が付かなかったのに
後期の戦車は工具で擦ると傷が残ったと
強度が全く違うのは素人でもわかる
それは、装甲の設計思想が変わったからだよ。
作業をしながら米軍爆撃を避け出航しての被雷だろうが。未完成品で
艦内防水ハッチなどもまだ訓練未熟な船員の為動作不備。幾ら大和型
戦艦改造で新設飛行甲板も対爆装甲採用の空母とは言え、あまりに条件が悪かった。
全般に乗員が不慣れだったしな。
あるいは石炭をスラリーにして疑似液体燃料にするとか。
必須で有りましたね。
(仮想)敵国からの燃料利用に何の疑問も抱かずなかった海軍
さらにベネズエラからの油田投資も断った海軍。
そして燃料枯渇を根拠に必敗の作戦を主導した海軍
電力から作るN2H4+H2O2動力だとかアルコール、
アルキメデスの大戦にあるガス・タービンならぬ粉炭スラリー・タービンなどで整備を想定すれば
「座しての敗北」「ジリ貧」とか言わなくて済んだのに
石炭から石油を合成して燃料を自給する計画だった
海軍は石油合成プラントの計画をアメリカから制裁される前から準備している
昭和20年になって一部は稼働できるようになった
ボイラーの発熱量が低下して速度が出ません
石炭ボイラーだと20ノットです。第一次大戦の戦艦をいまさら作ってどうするよ?
高張力鋼の技術を導入して、強さそのまま重量を減らすことに成功した。
しかし強度には方向が有り、進水して強度の掛かりが変化すると隔壁が破れてしまうようになった。
戦艦大和はこれで重量が5000tは減ったと言うが隔壁数が少なく水漏れしやすい船となったのである。
翔鶴の隔壁破壊が音響により随伴駆逐艦が確認して居たのは有名な話。多くの船が浸水増加を止められずに沈没した。
次には爆薬の誘爆防止の失敗。戦艦大和の爆沈は有名であるが、米軍には爆沈の例が無い。
秘密が解除されていないが、おそらく湿式管理があったものと推測出来る。
これは火薬は火薬缶に詰められて管理されるのを、その隙間に水を充填する物でシャーマン戦車の格納庫で有名である。
これにより火災の心配が減った米軍は薬莢の塗装鉄板化も進めた。日本は薬莢に砲金を使っていたが高価で貴重な素材である。
米軍はブリキ缶をエナメル塗装した物を使い、低コスト大量生産省資源に成功していたのである。
さらにルンガ沖海戦では大破した重巡は全て砲塔横や直近に魚雷を受けていたが誘爆した艦が無いのである。
あれが日英の艦であればさらに3隻喪失であったであろう。
戦車の装甲もヤワヤワで、砲じゃなく機関銃で穴だらけにさせられるという体たらく
ドイツ戦車との性能差が大きすぎて日本戦車は米軍から戦車扱いされなかった
鉄鋼では1億㌧vs300万㌧(能力は900万㌧)
カサブランカ級と太平洋作戦用の小艦艇は西海岸で作ったが、これは
粗鋼生産力が500万トンと日本の能力をカリフォルニアとワシントン州だけで1.5倍分増強したぶんで
賄った計算。
ハリマン財閥はUP鉄道の輸送が増えるとして3300t貨物(JR貨物列車の最大の5割増し)を
開戦前夜に調達している。ソ連大使をやりつつ戦争を見越していたのである。
陸軍の暗号は戦後まで解読できず
海軍がアホなんだよ
へえ知らなかった
インパールとか玉砕とか陸軍のアレなところが目立つけど
海軍も大概だよね
持っていく。その仲介役にソ連を当てにしていたらしい。陸軍はそもそも見通し自体なく、
最後は本土決戦まで行く腹のようだった。陸軍と海軍が挙国一致で協力した形跡もなく
終戦まで反目し合うという、不思議な国だった。
陸軍と海軍が仲が良いって国あったっけ?
活躍する場面はいくつもあったが、出し惜しみしすぎだわw
TNTからトーペックス(HBX爆薬)に変更してる
威力が増大した爆薬を使われた日本艦艇の生残性が落ちるのは当たり前
戦い方が極めて古かった。特に雷撃に対して弾幕をはるアメリカの合理主義
は見習うべきだった。
弾幕貼りようがないだろ
弾倉式でどうしろってんだよ
一部の事実だけを取り上げてさも自分の理屈が正しいかのごとく「決め付けている」風に見える。
単に被害数だけの比較ならばアメリカに分があるのは当たり前の話であるし
だからと言って設計が悪いと断ずることは出来ないはずだ。
しかも播田安弘の経歴は商船のみであり軍艦の設計の経験はないと見える。
商船と軍艦とでは全くコンセプトや設計思想が異なるので商船視点でモノを言っている
「専門家された技術屋が陥りやすい偏見や思い込み」だろう。
(商船に特化した技術屋が軍艦の設計技術に意見を言ったところで専門外ということだ)
事実武蔵や大和は当時の米軍が武蔵撃沈に相当手こずった為に大和攻略時には片側に魚雷を
集中された事実がある。であれば、どこが魚雷が弱いのか?という話だ。こういう歴史の事実を
無視して自己の偏見を押し付けているに過ぎない。
それに・・・当時の図面からだけで現在の技術者と言えども判断はできないはずだ。
過去の戦歴を詳細に調べ、その上で模型などで実際に検証して初めてこの手の判断ができるものだ。
決して机上の理論だけで「そうである」と判断ができる訳が無い。軍艦の設計者でもなく
当時の大日本帝国の軍艦の設計のノウハウは大半が失われていると聞く。それを机上だけで
判断ができないことは「まともな機械屋ならば分かるはず」だ。
別な視点は重要だぜ。間違っていても見るべきところは結構あるものだ
そういう部外者を専門じゃないとか素人が口出しするな、といって
頭ごなしに排除する気風が敗因の一つだったことを忘れてはならない
>当時の大日本帝国の軍艦の設計のノウハウは大半が失われていると聞く
その通りだね 終戦で確か大和級の設計図は焼却されたらしいし、他もそうだろう
(大和の艦橋内部は実はプラモデル屋が想像で作ってる。エレベータがあったらしいが
どうなってたのか、未だにわからん。武蔵も大和も司令塔上に行くには縄梯子だったと言う説もある)
おかげで戦艦大和など主力艦の便所の位置や、便器の数が不明なままだ
艦隊行動から切り離したキチガイじみた末期の運用とか船速差が大きすぎる改造商船とか
切羽詰まってたんだろうけどもったいなさすぎ
ヒラガの設計した日本海軍艦たちは、この伝声管という装置のおかげで浸水が早く
沈没しやすい設計になっていたとは当時のヒラガ設計艦に実際に乗り組んでいた士官、下士官兵たちの
共通の認識です。合衆国にとってはヒラガ・サマサマですよ。
伝声管なんてどこの国の艦にもあるでしょ。
艦内の連絡のために必須の装備。
同等の経済力同士の国なら科学力が勝る方が勝つし
同等の科学力なら経済力が勝る方が勝つ
日本は国力に差がありすぎてどっちみち負けてはいただろうけど
アホを放置する国は弱い
コメント
ビスマルクは自爆装置も同時に作動したと言われているが、たった3本の魚雷で沈没している。
>あまり知られていないが、太平洋戦争では日本の軍艦は魚雷攻撃に非常に弱く、いとも簡単に沈没していた。
当時の技術者の福井という人が書いているわ。
何故沈んだか・・・水がたくさん入ったから。
どのくらい入ったのか・・・沈むほどだ。
それだけの話よ。
まあ、色々と要因があるワサ。日本の戦艦造船技術は大和型で一応の完成を見たけど、それまでずっと試行錯誤の連続。そして一番の問題が、大和型のバージョンアップをしなかった事。設計者の1人は『大和をより強くする努力を怠った』と後悔している。
ぶっちゃけ基礎技術が欧米に比べて低過ぎた。ボイラー圧一つとっても、大和型のボイラー圧と独駆逐艦のボイラー圧がほぼ同等だったと言う。
それに対空火器の選択が不味かった。末期はハリネズミの様に対空火器を並べたが、弾倉交換式だし、発射時に物凄く振動して狙いが付けられなかった。近接信管は無理だったとしても、せめてボフォースの40㍉機関砲を搭載していれば、少しは違ったかもしれない。
信濃は突貫で空母化したので、色々と無理が生じていた。はっきり言って空母としては未完成。
ぶっちゃけ、あらゆる分野を同時に研究出来たのはWW2公認チートな米帝だけなので・・・
海軍5大国に数えられるとはいえ、持たざる側だった日本は最先端に追随するには取捨選択して
研究しなくてはならなかった
そこで日本が重点を置いたのがあらゆる面における対艦攻撃力の追求
対艦用の砲熕兵器、魚雷、(攻撃面を重視した)潜水艦、航空機(特に航空雷撃)
こういった部分には極めて注力していて、設計の妙などもあって基礎技術の不足をカバーして
一線級の性能を持っていたけど、一方対空や電探などはなおざりになった
指向性アンテナは日本が最初に見つけた様なものなのにねえ(八木・宇田アンテナ)
マスゴミがごり押ししてたから、アルキメデスは見ていないし見る気もない。
宮根がこれは戦争映画じゃないから見てとか言っていたのが引っかかった。
まぁそういう事だろうね。戦争間違い、軍艦も弱い、日本は全部が糞だっただろ。どうせ
んーでも日本海軍も、マレー沖海戦でプリンスオブウェールズとレパルスを航空戦力だけで撃沈してるよな
宇垣連合艦隊参謀長は『極東艦隊司令長官旗艦として急遽回航せる計りの最新鋭艦も其の無暴なる行動に依り脆くも飛行機の為に海底の藻屑となる』『昨日来の経過は確に航空機の威力を確認せざるを得ず。嘗てはビスマークを葬るに参加せる新鋭の本戦艦も案外防禦力薄弱にして、獨の復讐江戸の讐を長崎にて打ちたる格好となれり』と感想を述べている
て偉い人も言ってるわけだから、大和だって航空戦力だけで沈められるかも?て予測はできたんじゃないの?アメリカもマレー沖海戦は研究してただろうし
日本に限らず全ての国、全ての艦船が魚雷に脆弱なのでわざわざ「日本の」とするのは
大変に違和感がある(もっというなら悪意を以て書いたのではと疑いたくなる)
喫水線下まで防禦を施すのは重量配分的に不可能だし、そも魚雷が戦艦砲の弾以上のサイズで
炸薬量も当然上回るので単純に爆発威力が上、しかも水中では空気中と爆発の挙動が異なる
(爆発で水が押しのけられ気泡ができるが、その直後に気泡に向かって周りの水が殺到して
気泡と水流が伝播してくる、「バブルパルス」と呼ばれる現象)のでより威力が上がる
結局魚雷に対してはバルジやバブルパルスを抑えるささやかな構造で軽減するのが限界で、
日本も含め、対策方法は各国で同じだった
なお、今は近接信管の性能が上がって直撃せずとも近傍で爆発させられる様になったので
対艦魚雷は底部狙って爆発してくるより危険な物になってる
まあ航空雷撃も水上艦雷撃も廃れたので対艦魚雷を投げてくるのは潜水艦だけだけどね
海兵の父が言うには,大型船は縦にも防水壁が有って左右に海水の移動が出来なくて、片側を集中して魚雷攻撃を受けると姿勢の修正が出来なかった。
米艦にはスプリンクラーが付いていて、防火扉を閉じて一部屋を犠牲にして延焼を防ぎ、大破でも曳航して修理して復帰。日本は人的消火で、結果全艦延焼、大破で沈没。
米軍は電気溶接で、ブロック工法で効率的に製造。日本は鉄鋲の加締め工法で時間がかかった。
分厚い防弾甲板も,鋼板は砲弾に耐えても鋼板の結続部の加締めが耐えられず、隙間が出来て海水が侵入。
隔壁配置に関しては大きな違いはないし、浸水への対処法は反対側への注水なのは一緒ね
防火設備については、アメリカ側の二次大戦期新型艦であれば大体その通りで高性能
ただ米艦も限界を超えた火災によって雷撃処分になった艦は少なくない
(それだけ乗り物の火災とは危険なものなのです)
電気溶接とブロック工法については色々ツッコませてもらうよ
日本もむしろ野心的に電気溶接を取り入れた(主要部まで使ったのは駆逐艦や巡洋艦にて)、
工期短縮、軽量化など様々なメリットがあったから
(なお戦艦の主要部は溶接できるものではないのでリベット留め、これは各国共通)
ただ第四艦隊事件で、当時の未熟な電気溶接技術による溶接部の欠陥が
船体強度不足に繋がっているという分析のためにリベットに戻されたのです
(現在では太平洋での台風による波浪に関する知識の不足によるものとされてますが)
なお戦時標準船や松型、海防艦ではブロック工法も電気溶接も積極的に採用され、
現在の船舶建造技術に繋がっていますわ
電気溶接について更に追記
アメリカ側でも電気溶接を使用した船舶では、
強度不足のために歪みが出るなど困らされていたという話が残っています
特に停泊中のリバティが瞬時に「割れた」話は有名で徹底的な調査のキッカケに
この時の教訓によって溶接技術は大きく進展することになりました
プリンス・オブ・ウェールズって魚雷一発でやられたんだけど?アホかいな
スクリュー及び推進軸に命中し、曲がった推進軸が周囲を破壊して隔壁まで破壊した
隊規模な浸水が発生し、さらに艦の次々と機能は停止、集中攻撃を受けたて沈没
英海軍は不沈戦艦が魚雷一発でやられたと大ショックだったらしい
戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが撃沈された時に、
会戦による戦闘での日本側の損害は3機のみ
チャーチルも東洋の劣った人種にやられたと嘆いたと言われてる
ドイツの戦艦ビスマルクも英艦載の複葉機からの魚雷一発で事実上航行不能になった
日本の戦艦だけが脆いとかホント意味不明、新手の反日クソ野郎だろ
* 12時41分 後部に中型爆弾2発命中。電探室および主計課壊滅
* 12時45分 左舷前部に魚雷1本命中
* 13時37分 左舷中央部に魚雷3本命中、副舵が取舵のまま故障
* 13時44分 左舷中部に魚雷2本命中
* 13時45分 副舵を中央に固定。応急舵で操舵
* 14時00分 艦中央部に中型爆弾3発命中
* 14時07分 右舷中央部に魚雷1本命中
* 14時12分 左舷中部、後部に魚雷各1本命中。機械右舷機のみで12ノット。傾斜左舷へ6度
* 14時17分 左舷中部に魚雷1本命中、傾斜急激に増す
* 14時20分 傾斜左舷へ20度、傾斜復旧見込みなし。総員上甲板(総員退去用意)を発令
* 14時23分 大和、沈没。(左舷側へ大傾斜、転覆ののち、前後主砲の弾火薬庫の誘爆による大爆発を起こして爆沈)。死者2740名、生存者269名
…設計でどうにかなるレベルとも思えんが?
そんだけ食らったら沈むに決まってるよなぁ。
米軍が上手かったのは左舷に集中攻撃したことだね。
右舷注水が追い付かないレベルでやられたら、どんな船だって沈むわ。
注水が間に合っても浮力がなくなるまで注水したら結局沈むしな
設計にどこまで期待してるんだろ