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彡(^)(^)「ワイはルイ十七世や!」

歴史
修道院の端にある大塔(1795年)
1: ID:1uG
産婆「おめでとうございます、元気な男の子ですよ!」

J( ‘ー`)し「良かったわ…これで二人目ね、元気に育つといいのだけれど」

ルイ十七世は1785年にマリー・アントワネットの第二子として生まれた。幼い頃でも目鼻は整い、赤みがかかったブロンドの髪に美しい緑色の目を持っていたとされる。

ルイ=シャルル(アレクサンドル・クシャルスキ画、1792年、ヴェルサイユ宮殿蔵)

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彡(^)(^)「ワイはルイ十七世や!」

引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1600690329/

以下ネットの反応

2: ID:1uG
数年後

彡(゚)(゚)「なんや、何の騒ぎや…?」

側近「大変です!大勢の市民がこちらに向かって押し寄せてきています!」

J( ‘ー`)し「どうしましょう…」

彡(゚)(゚)「うん?なんで皆怒っとるんや、ワイら何にも悪いことしとらんのやろ」

J( ‘ー`)し「…」

彡(゚)(゚)「マッマ?」

後にヴェルサイユ行進と呼ばれる事件により、国王一家はテュイルリー宮殿に軟禁されることとなった。監視は市民によって結成された民兵である国民衛兵が行った。

3: ID:sUK
あっ
4: ID:1uG
彡(^)(^)「おっ、兵隊さんが来とるやんけ!おーい、一緒に遊ぼうや!ワイも衛兵ごっこしたいで!」

兵士「何だコイツ明るいなオイ(いいよ、一緒に遊ぼうじゃないか!)」

彡(^)(^)「ワーイ!」

J( ‘ー`)し「あんなに楽しそうに過ごせるなんて思わなかったわ…。あの子があんなに社交的だなんて」

彡(^)(^)「アハハ!」

J( ‘ー`)し(あの計画さえうまくいけば、きっとあの子は無事に育つはず)

J( ‘ー`)し(もし失敗したら、今度こそ終わりね…)

5: ID:1uG
J( ‘ー`)し「起きるのよ、シャルル。早く出かけなきゃ」

彡(´)(`)「なんやマッマ…こんな夜中にどこに行かなくちゃいけないんや」

J( ‘ー`)し「オーストリアよ」

彡(´)(`)「へ?」

J( ‘ー`)し「ここから逃げて、私の生まれたオーストリアに逃げるの。そうしないと皆危ない目に合うのよ」

彡(。)(;)「でも…ワイ兵隊さんやこの家から離れたく無いンゴ」

J( ‘ー`)し「そんなこと言ってないで、早く!」

彡(;)(;)「そんな…」

1791年、国王一家はオーストリアへの逃亡を図ったが、運悪く国境に近いヴァレンヌで発見され、パリに引き戻されることとなった。また、この事件によってさらに監視は厳しくなり、住まいもタンプル塔へと変えられ、国王一家は幽閉状態となった。

6: ID:1uG
彡(゚)(゚)「マッマ?」

J( ‘ー`)し「どうしたの、シャルル」

彡(゚)(゚)「パッパはどこに行ったんや、兵隊さんたちと一緒に外に行ってから戻らんのや。マッマは何か知らないんか?」

J( ‘ー`)し「シャルル、お父さんは…」

彡(゚)(゚)「?」

彡(゚)(゚)「何で泣くんや?」

父親であるルイ十六世が処刑されると、ルイ十七世は国王となった。もちろんこれは反革命主義者などの間においてのみであり、幽閉されたままのルイ十七世は自分が国王になったことも知らなかった。

7: ID:1uG
彡(´)(`)「うう、腹が痛い…。それに熱もあるみたいや」

J( ‘ー`)し「大変!誰か、医者を呼んできてはくれませんか?」

兵士「は?」

J( ‘ー`)し「だから、医者!シャルルを医者に診せて下さい!」

兵士「なんで?w」

J( ‘ー`)し「そ、そんな…」

タンプル塔での待遇は次第に悪くなり、ルイ十七世が高熱を出した際にも中々医者は呼ばれなかった。最終的に診断は行われ、熱は下がったが腹痛は治まらず、以降彼はずっと体調を崩したままとなる。

8: ID:1uG
彡(´)(`)「今度は一人部屋に移動させられるんか…」

兵士「後見人が付くんだ、喜べよ」

彡(゚)(゚)「後見人…?誰やろ」

(´・ω・`)「へええ、君がルイ十七世君かい?」

彡(゚)(゚)「あ、あなたは?」

(´・ω・`)「僕の名前はアントワーヌ・シモン。君の後見人であり、教育係だ。もともとは靴屋だったけどね。君を素敵な市民に育ててあげよう」

彡(゚)(゚)(何やこのおっさん…)

9: ID:1uG
(´・ω・`)「じゃあこの歌を歌え。『ラ・マルセイエーズ』」

彡(゚)(゚)「こ、こんなひどい歌を歌うんか?」

(´・ω・`)「あ゛?」

彡()()「ヒッ…歌います、歌います」

(´・ω・`)「そうだな、良き市民はちゃんと革命歌も歌えるからな」

シモンは最初、王家を否定させ、革命を称賛させるような教育を行った。次第に暴力が加わることとなり、言うことを聞かなければ酒を無理矢理飲ませ、ギロチンで殺すぞ、と言った脅迫まで行うようになった。

12: ID:tmk
>>9
「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」を連想した
10: ID:1uG
三か月後

( ・`ω・´)「あのクソ国王の女…マリー・アントワネットとか言ったか。あいつも処刑したいな。しかし口実が無い、どうするか」

(´・ω・`)「エベールさん、私にいい考えがあるんですが」

( ・`ω・´)「うん?どういうことだ」

(´・ω・`)「あのガキを使うんですよ、まずはああして…」

11: ID:1uG
(´・ω・`)「よーしクソガキ、この紙にサインしろ」

彡()()「これは…なんですか…」

(´・ω・`)「お前は母親や姉と近親相姦を行い、乱れた生活を行っていたんだ、間違いないだろう?」

彡()()「…」

(´・ω・`)「間違いないよな」

彡()()「…はい」

こうしてマリー・アントワネットは不利な証拠をでっち上げられ、後に処刑されることとなる。ルイ十七世は彼女らを呼び出され、尋問を行われたときにもでっち上げられた罪が実際にあったと主張するようにまでなっていた。

13: ID:1uG
( ・`ω・´)「おい、今度はこの部屋に行け」

彡()()「あの…シモンさんは…」

( ・`ω・´)「あのクソ野郎はとっくに追い出したよ。今度は俺がお前の後見人だ、いいな?」

彡()()「でも…この部屋…光も入らないんです。それに狭くて…」

( ・`ω・´)「うるせえ!つべこべ言わずにとっとと入れよクソガキ!」ボカ!

彡()()「…」

シモンがルイ十七世への暴力により解任された後も待遇は改善されず、よりひどくなるばかりだった。
室内にはトイレが無かったために、彼は床で用を足さねばならなかった。また、それにより部屋の中はさらに不衛生になり、くる病にかかった彼は歩くこともままならず、一日中ノミとシラミ、排せつ物にまみれたベッドで寝ているだけになった。

14: ID:1uG
兵士A「おい!生存確認だ!起きろ!」ガンガンガン

彡()()「…はい」

兵士A「よーし、俺が良いというまでそこに立ってろよ」

兵士B「暴君の息子め!」

兵士C「カペーのガキ!」

兵士D「せむしの子供め!」

兵士たち「ワッハッハ…」

彡(;)(;)「…」

このようなことはエベールやシモンが派閥争いにより処刑されるまで毎晩繰り返された。

15: ID:jbP
うわぁ
16: ID:1uG
(o’ω’n)「本当に臭い所だおん。こんな所に国王の息子がいるのかおん?」

側近「間違いありません、恐らくあの部屋に」

彡(。)(;)「だ、誰や…またワイをいじめに来たんか…」

(o’ω’n)(なんということだ。こんなに小さな子供がこのような場所に…)

(o’ω’n)「王子、どうかご安心ください」

彡(゚)(゚)「え?」

後に政府総裁となるポール・バラスはルイ十七世の処遇に驚愕し、直ちに新しい後見人であるジャン・ジャック・クリストフ・ローランを手配した。彼女は男二人に部屋を掃除させ、ルイ十七世を入浴させ、カーテンと家具を交換し、医者に見せた。
彼女はルイ十七世を散歩にも連れて行こうとしたが、彼は酷く衰弱しており、一人では歩けなかった。

17: ID:51y
助かるんか…?
22: ID:sUK
>>17
公式記録的には助かってない
18: ID:1uG
彡(゚)(゚)(ひょっとしてワイの所に親切な人たちが集まってきてくれたんやろうか)

彡(゚)(゚)(ローランさんの次に来たゴマンさんも優しいし、久しぶりに日の当たる部屋で過ごせるようにもなったで)

彡(゚)(゚)(今度はローランさんとゴマンさんがお願いしてくれたおかげでお医者さんにもかかることが出来た)

彡(^)(^)(お医者さん、びっくりしとったな。アハハ…)

彼を診察したピエール=ジョゼフ・ドゥゾー医師は「出くわした子供は頭がおかしく、死にかけている。最も救いがたい惨状と放棄の犠牲者で、最も残忍な仕打ちを受けたのだ。私には元に戻すことができない。なんたる犯罪だ!と正直に意見を述べた。

19: ID:ks3
なんか2000年くらいに心臓見つかってたよな
20: ID:1uG
(´ω`)「なあ兵隊さん」

兵士「は、何でしょうか」

(´ω`)「あの子の事診察したんだけどさ、カンヌキとか錠前とかの音聞くと精神的に悪いから全部外してやってよ。あと新鮮な空気が入るようにもしてね」

兵士「しかし」

(´ω`)「やれ」

兵士「は、はい…」

次の主治医となったフィリップ・ジャン・ペルタン医師は更なる部屋の改善を行い、ルイ十七世の身体にも回復の兆候が見られた。また、精神的にも回復したのか、白いカーテンを付けた窓を見た彼は喜んだという。

21: ID:1uG
(´ω`)「じゃあ、今日の診察はこれくらいで」

彡(゚)(゚)「お医者さん、ワイはこれからよくなるんか?」

(´ω`)「そうだな、きちんと食事をとって病気を治すことが先決だと思うが、そうすれば普通の生活が送れるくらいには回復すると思うぞ」

彡(^)(^)「良かった…お医者さん、あり」

バタン!

(´ω`)「おい、君!どうしたんだ!」

(´ω`)「誰か薬を持ってこい!」

一時的に意識を失ったルイ十七世は薬を投与されたが、医師の思いとは裏腹に看護が為されることはなく、気付いた時にはすでに瀕死の状態だった。世話係のエティエンヌ・ラーヌに医学的な知識は無く、ただ見守ることしかできなかった。

23: ID:1uG
/|i、゚ヮ゚ハレ.「坊ちゃま、具合はいかがですか」

彡(´)(`)「…息が…苦しいンゴ」

/|i、゚ヮ゚ハレ.「大丈夫ですか、お抱きしましょうか」

彡(´)(`)「…うん」

その死の直前、彼はラーヌに抱かれたまま長いため息をしたという。
そのまま全身の力が抜け、ルイ十七世はその短い生涯を閉じた。
僅か十歳での死であった。

24: ID:1uG
死因は結核であり、共同墓地のサン・マルグリット墓地に葬られた。
ペルタン医師は解剖の際、ひっそりとルイ十七世の心臓を持ち帰り、保存した。
しかし、アルコールを塗られ保存された心臓は長い年月を経て固くなり、石のようになってしまったという。
その心臓も現在はフランス王家の墓があるサン=ドニ大聖堂に埋葬されている。
25: ID:oFs
悲しいなぁ…
26: ID:ks3
おぉ…もう…
27: ID:F5b
そんなー(´・ω・`)
28: ID:1uG
おしまい

最後に希望持ちかけて死ぬのホント悲しいンゴねえ…

29: ID:tmk
悲しいなぁ
30: ID:1uG
カットしたけどシモンあたりの扱いとか非人道的すぎてヤバいわ
とても全部は書ききれないから各自で調べてクレメンス

ルイ17世(仏: Louis XVII, 1785年3月27日 – 1795年6月8日)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男。兄の死により王太子(ドーファン)となった(1791年9月からはプランス・ロワイヤル(フランス語版))。8月10日事件以後、国王一家と共にタンプル塔に幽閉されていたが、父ルイ16世の処刑により、王党派は名目上のフランス国王(在位:1793年1月21日 – 1795年6月8日)に即位したものと見なした。名目上のナバラ国王でもあった(ナバラ国王としてはルイス6世)。しかし解放されることなく2年後に病死した。
Source:ルイ17世 – Wikipedia

35: ID:phg
まあ史料的根拠がフランスの王党派が書いた日記だけというガバガバなんやけどな
31: ID:sUK
ちなみにこの時に王族を殺そうとした議員連中が議会の左側にいた事から革新系を左翼と
王族の助命を願った側が右側に座ってた事から保守を右翼と呼ぶように成ったんやで
32: ID:tmk
>>31
はえー
36: ID:Yf2
うーんこの革カス
やっぱり急進派と共産主義者は根絶やしにするべきなんやね
34: ID:ks3
シモンの仕打ちは兵士でさえも見んのが嫌だったとかなんとか
33: ID:QH4
かわいそう

コメント

  1. 悲しい
    痛いことされたくなかった

  2. ルイ16世の処刑まではギリ分かるが、嫁さんと子供まで何で殺すねん
    だからサヨクは糞なんや
    このあとナポレオンが出て来るまでずっと処刑祭りが続くからな

  3. 理想主義者には権力握らせたらいかんちゅーこっちゃな。

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