クーデター仲間と大統領になり、17年の懲役を食らった男

盧泰愚のアイキャッチ 話題

盧泰愚(ノ・テウ、1932〜2021年)は、韓国の陸軍軍人・政治家で、1988年から1993年まで第13代大韓民国大統領を務めた。全斗煥とともに1979年の軍事クーデターを主導した人物が、民主化デモの最中に大統領直接選挙を受け入れ、最後は軍事反乱と収賄で17年の懲役判決を受けた。

盧泰愚とは何者かを一言でいえば、軍部の権力で出世した男が、民主化の波に乗って大統領になり、その権力の出発点まで法廷で裁かれた人物である。


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基本プロフィール

項目 内容
氏名 盧泰愚(Roh Tae-woo/ノ・テウ)
生没年 1932年12月4日〜2021年10月26日。大邱生まれ
前職 陸軍大将、内務部長官、民主正義党総裁
大統領 1988年2月〜1993年2月。第13代大韓民国大統領
最終的な判決 軍事反乱・内乱・収賄などで懲役17年、罰金約2628億ウォン。1997年に特赦

伝説①:全斗煥と「軍の中の軍」を作った

盧泰愚は陸軍士官学校11期で、同じ期の全斗煥とは軍人時代から近かった。朴正熙大統領が1979年10月に暗殺されると、権力の空白が生まれる。その年の12月12日、盧泰愚は全斗煥らと軍の指揮権をめぐるクーデターを起こした。

盧泰愚は第9師団長として部隊を動かし、全斗煥が軍を掌握する過程を支えた。後に裁判で問われたのは、単に政権の中枢にいたことではない。軍事力で指揮系統をひっくり返したことそのものだった。

数字の出どころ
1979年12月のクーデター、陸軍士官学校11期、盧泰愚が第9師団長だったことは、韓聯社の年譜と後年の報道で照合した。

伝説②:光州を背負ったまま、選挙で勝った

全斗煥政権の後継者として、盧泰愚の前には大規模な民主化デモが立ちはだかった。1987年6月、政権への抗議が全国へ広がると、盧泰愚は6月29日宣言を発表し、大統領直接選挙の導入などを受け入れた。

ただしこれは、軍部の過去を清算してから民主化したという話ではない。盧泰愚は全斗煥とともに、1980年の光州民主化運動の武力鎮圧をめぐる責任も問われた人物だった。民主化を認めた候補が、民主化を弾圧した側の権力基盤から出てきたというねじれがある。

年 出来事 意味
1979年 12・12軍事クーデター 全斗煥と軍の実権を掌握
1980年 光州民主化運動の鎮圧 後の裁判で責任を問われる
1987年 6月29日宣言・直接選挙 民主化の波の中で大統領候補になる

伝説③:大統領になって「普通の人の時代」を名乗った

盧泰愚は1987年の大統領選で、野党候補の金泳三と金大中が分裂したこともあり、直接選挙で勝利した。1988年2月に第13代大統領へ就任し、軍人出身のイメージを薄めるため「普通の人の時代」を掲げた。

在任中は1988年ソウル五輪を開催し、1990年にソ連、1992年に中国と国交を樹立した。南北朝鮮の同時国連加盟や南北基本合意書もこの時期で、対外政策と南北交流では一定の成果を残した。一方、国内では与党の基盤が弱まり、政権後半には「水泰愚」と呼ばれるほど求心力を失った。

大統領としての二つの顔
国内では軍事政権の後継者として批判を受けた。一方、外交ではソ連・中国との国交、南北対話、ソウル五輪を進めた。盧泰愚の評価が割れるのは、民主化を抑えた側の人物が、民主化後の国際化を進めたからでもある。

謎:なぜ退任後に17年の懲役まで行ったのか

クーデターから大統領、判決までのねじれ

盧泰愚は1993年に退任した後、企業から集めた秘密政治資金をめぐって1995年11月に逮捕された。さらに、1979年の軍事クーデターと1980年の光州民主化運動の鎮圧をめぐる軍事反乱・内乱の責任も問われた。

1996年の一審では22年6か月、1997年4月の韓国大法院判決では懲役17年と約2628億ウォンの罰金となった。軍を使って権力を取り、選挙で大統領になり、退任後にはその権力の作り方を法廷で裁かれたわけだ。

「民主化の大統領」だけでは終われない
ソウル五輪や北方外交だけを見れば、韓国の国際的な地位を押し上げた大統領だった。しかし、政権の入口に軍事クーデターと光州の鎮圧があり、退任後の判決はそこを切り離すことを許さなかった。

現在地:特赦されても、過去までは消えなかった

金泳三大統領は1997年12月、次期大統領となる金大中の提案も受けて盧泰愚と全斗煥を特赦した。盧泰愚は服役を終えずに釈放されたが、罰金・追徴金は残り、2013年に全額を納付したと韓聯社が報じている。

盧泰愚は長く公の場から退き、2021年10月26日に88歳で死去した。韓国大統領記録館は1988〜1993年の在任を記録する一方、後世の評価はクーデター、光州、民主化、北方外交、特赦を一つにして考えざるを得ない。

判決後の確認
特赦は無罪判決ではない。盧泰愚は釈放されたが、判決そのものが消えたわけではなく、追徴金の納付も後年まで続いた。

💀 盧泰愚が残した「ねじれ」

盧泰愚は、全斗煥と軍事クーデターを主導した軍人であり、民主化デモの中で直接選挙を受け入れた大統領でもある。ソウル五輪、ソ連・中国との国交、南北対話を進めた一方、光州の鎮圧と秘密政治資金で裁かれた。

17年の懲役判決を受け、特赦で出所した男の大統領期だけを「民主化」と呼ぶことはできない。だが、クーデターの勝者が選挙で勝ち、国際化を進め、最後は自分の権力の出発点を法廷で問われたという経路こそ、盧泰愚という人物の異常さである。

クーデターで権力を取り、選挙で大統領になり、17年の懲役を食らった。特赦されても、その順番までは消えなかった。

出典: 韓国大統領記録館/韓聯社/ハンギョレ中国語版/AP通信/澎湃新聞。生没年・在任期間は韓国大統領記録館、クーデター・6月29日宣言・判決・特赦は韓聯社と各報道で照合した。

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