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プーチンとは何者か——壁崩壊の夜に書類を焼いた無名のKGB将校が「ツァーリ」になるまで

ウラジーミル・プーチンの風刺イラスト 話題
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ネットでのプーチンは「最強の独裁者」「上半身裸のマッチョ」「KGB仕込みの怪物」——そんなアイコンとして語られる。

だが、その出発点は意外なほど地味だ。ベルリンの壁が崩れた夜、彼は東ドイツの片隅で書類を焼いていた一介のKGB中佐にすぎなかった。無名の官僚がいかにして「ツァーリ」になったのか——肩書ではなく、エピソードでたどる。

この記事で分かる「へぇ」
  • 壁崩壊の夜、機密書類を焼きすぎてオーブンが壊れたと本人が回想
  • 無名の官僚から、わずか1年あまりで大統領に駆け上がった
  • 恩師も、政敵も——周囲で「不審死」が続く
  • 犬が怖いメルケルの前に、わざと大型犬を放った
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壁崩壊の夜、ドレスデンで書類を焼いていた男

壁崩壊の夜にKGB拠点で機密書類を焼くイメージ

ウラジーミル・プーチンは1952年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の貧しい家庭に生まれた。大学で法律を学び、憧れていたKGB(ソ連国家保安委員会)に入る。

1985年、彼は東ドイツのドレスデンに派遣された。そして1989年11月、ベルリンの壁が崩壊する。プーチンはKGB拠点の地下で、機密文書をひたすら燃やし続けた。「我々は昼も夜も書類を焼いた。あんまり焼いたので、オーブンが壊れてしまった」——本人がのちにそう振り返っている。

暴徒と化した群衆が、近くの秘密警察シュタージの建物に押し寄せた。やがて矛先がKGB拠点にも向かいかけたとき、応援を求めてモスクワに連絡したが、返ってきたのは沈黙だった——「モスクワは沈黙していた」。国家が一夜で崩れ、頼った中央が何も応えない。この無力感の体験が、後の「強い国家」への執着を形づくったと、しばしば指摘される。

出典: 各種報道/プーチン回想

無名の官僚が、1年あまりで大統領になった

ソ連崩壊後、プーチンは故郷サンクトペテルブルクで、恩師でもあるサプチャーク市長の右腕(副市長)として頭角を現す。1996年にモスクワへ移ると、出世は一気に加速した。

大統領府副長官、そして秘密警察の後継機関FSBの長官へ。1999年8月には、エリツィン大統領によって首相に指名される。当時、国民のほとんどが「プーチンとは誰だ?」という状態だった。

そして1999年12月31日、エリツィンは任期を半年残して電撃辞任。プーチンを大統領代行に指名した。翌2000年の選挙で、彼は約53%を得て当選。無名の官僚が、わずか1年あまりで一国のトップに立った瞬間だった。

出典: Wikipedia「ウラジーミル・プーチン」/各種報道

権力の階段に転がる「不審死」

その駆け上がりは、きれいごとだけではなかった。

1999年秋、ロシア各地で高層アパートの連続爆破事件が起き、多数の死者が出た。プーチン政権はこれをチェチェン武装勢力の仕業として軍事侵攻に踏み切り、その強硬姿勢で支持率を急騰させる。ところが事件をめぐっては、リャザンで爆発物の仕込みが住民に発見され、のちにFSB元職員が「侵攻の口実づくりのためFSBが仕組んだ自作自演だった」と証言している(真相は確定していない)。

さらに2000年2月、恩師サプチャークが、プーチンの選挙応援中に急死する。公式には心臓発作とされたが、同行者が相次いで急死したことから、毒殺を疑う見方も報じられた。以後もプーチンの政敵やジャーナリストの不審死は、たびたび取り沙汰されることになる。

※アパート爆破の「自作自演」説や、関係者の死をめぐる毒殺疑惑は、いずれも証言・状況証拠に基づく見方であり、公式に立証されたものではない。ただ、こうした疑惑が繰り返し語られること自体が、プーチン体制の不透明さを物語っている。

出典: 各種報道

犬が怖いメルケルの前に、大型犬を放った男

犬が怖い相手の前に大型犬を放つプーチンのイメージ

プーチンの「強さの誇示」を象徴する有名な逸話がある。

2007年、ソチでの独露首脳会談。相手のドイツ首相メルケルは、過去に咬まれた経験から犬恐怖症だった。ドイツ側は事前に「犬を同席させないで」と要請していた。だがプーチンはこれを無視し、会談の場に黒い大型犬コーニを放つ。犬が近づき、メルケルは凍りついた。プーチンは脚を広げて座り、その様子を楽しんでいたという。

メルケルは後年こう振り返っている。「彼は『自分は男だ』と証明したかったのだろう」。上半身裸の乗馬や、各国首脳を長大なテーブルの端に座らせる演出も、根は同じ——力を見せつけずにいられない性分だ。なお2024年、プーチンはメルケルに「怖がらせるつもりはなかった」と謝罪している。

出典: 各種報道/メルケル回顧録(2024年)

秋田犬には心を許した?——安倍晋三との蜜月

秋田犬「ゆめ」をかわいがるプーチンのイメージ

犬を「威圧の道具」に使うプーチンだが、日本との間には、もう少し人間味のある犬の話がある。

2011年の東日本大震災で、ロシアは日本へ支援を送った。その返礼として2012年、秋田県がメスの秋田犬「ゆめ」をプーチンに贈呈。犬好きの彼はゆめをいたく気に入り、なつかれる姿を公開してみせた。お返しに翌2013年、プーチンはオスのシベリア猫「ミール」を秋田県知事に贈っている。

そして安倍晋三とは、通算27回もの首脳会談を重ねた。「ウラジーミル、シンゾウ」と名前で呼び合う仲で、2019年には安倍が「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている。ゴールまで2人の力で駆け抜けよう」と熱烈に呼びかけたほどだ。北方領土問題を「4島返還」から「2島プラスアルファ」に踏み込んでまで、安倍は交渉に賭けた。

だが、その蜜月をもってしても、北方領土は1ミリも動かなかった。秋田犬になつき、シンゾウと呼び合っても、こと国益となればプーチンは一切譲らない。そして2022年のウクライナ侵攻で、日露関係は振り出し以下へ戻る。情と計算を、彼は完全に切り分ける——日本はその冷徹さを、27回かけて学んだのかもしれない。

出典: 各種報道

なぜ、もう降りられないのか

大統領と首相を行き来しながら、プーチンの統治は四半世紀に及ぶ。憲法を改正し、事実上の終身支配に道を開いた。そして2022年、ウクライナへの侵攻に踏み切る。

なぜここまで権力にしがみつくのか。理由のひとつは単純だ。これだけの敵と疑惑を抱えた人物が権力を手放せば、その瞬間に身の安全が消える。降りるという選択肢が、もう存在しない。壁崩壊の夜に「国家が崩れる恐怖」を味わった男は、自分の権力が崩れる未来だけは、何としても避けようとしている。

情報を制した男が、情報に裏切られた

ところが、その冷徹な計算は、近年あきらかに鈍ってきた。象徴が2022年のウクライナ侵攻だ。

四半世紀の長期独裁と、コロナ禍での極端な自己隔離。プーチンの周りは、彼の機嫌を損ねる情報を上げたがらないイエスマンで固められていった。米情報機関は「プーチンは側近に誤った楽観論を吹き込まれ、判断材料が目詰まりを起こしていた」と分析している。各国首脳を長大なテーブルの端に座らせたあの異様な絵は、彼の物理的・心理的な孤立の象徴だった。

結果、彼は「3日あればキエフは落ちる」という楽観のまま侵攻に踏み切り、ウクライナの抵抗と西側の結束を完全に読み違えた。皮肉な話だ。壁崩壊の夜、ドレスデンで「情報と国家がいかに脆いか」を肌で知ったはずの男が、頂点に立った末に、自分で築いたエコーチェンバー(反響室)に飲み込まれたのだから。

長く権力の座にいすぎると、上がってくる情報が「都合のいいもの」だけになる——独裁者が必ず落ちる罠だ。プーチンの誤算は、彼が無能だからではなく、むしろ切れ者が長く頂点にいすぎて、現実が届かなくなったからこそ起きた、とも言える。

出典: 日本経済新聞/米情報機関分析ほか

まとめ:これは「最強の独裁者」の話ではない

書類を焼いた無名のKGB将校、偶然と冷徹でのし上がった生存者、そして年老いて情報の檻に囚われた独裁者——。

ネットでの「最強のマッチョ独裁者」というイメージは、半分は本人の演出だ。本当に怖いのは、かつて誰よりも切れ者だった男が、長く居すぎて「都合のいい情報」しか入らなくなったという事実のほう。プーチンの物語は、最強の独裁者の話というより、“情報の入り方”を誤った権力者がどう自滅していくかの話なのかもしれない。

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