「今太閤」「庶民宰相」——田中角栄ほど死後も語り継がれる日本の政治家は少ない。小学校高等科卒で総理大臣になり、ロッキード事件で逮捕されても「闇将軍」として政界に君臨し続けた男の実像に迫る。
- 最終学歴は高等小学校卒(現在の中学2年相当)——それで総理になった政治家
- 建設会社経営で26歳で代議士に。カネと土建で選挙区を固める手法を確立
- 1972年の日中国交正常化を実現——しかし同年、日本列島改造論でインフレを招いた
- ロッキード事件:1976年逮捕・一審有罪後も「闇将軍」として1987年脳卒中まで政局を動かし続けた
新潟の貧農から「今太閤」へ


田中角栄は1918年5月4日、新潟県刈羽郡西山町(現・柏崎市)に生まれた。父は牛馬の仲買人で家計は苦しく、本人は高等小学校を卒業後に上京。土木建築の現場作業員・製図士として働きながら、中央工学校(夜間)で学んだ。
1943年に田中土建工業(後に田中建設)を設立。戦時の建設需要と戦後復興で会社を大きくし、資金力を蓄えた。この「カネと建設業」というセットが、田中政治の原点だ。
郵政大臣(1957年)、大蔵大臣(1962年)、自民党幹事長を経て、1972年7月に第64代内閣総理大臣に就任した。「今太閤(豊臣秀吉のような叩き上げ)」と呼ばれた所以だ。
日中国交正常化——1972年の最大の業績
総理就任から2か月後の1972年9月29日、田中角栄と周恩来は北京で「日中共同声明」に署名した。日本と中国の国交が正常化し、台湾との断交と引き換えに世界で最大の隣国と外交関係を結んだ歴史的な決断だ。
日本列島改造論——インフレへの道

1972年に発表した「日本列島改造論」は、全国に新幹線・高速道路・工業都市を建設し地方格差をなくすという壮大な構想だった。しかし:
| 現象 | 結果 |
|---|---|
| 「開発候補地」の情報が先に流出 | 投機目的の地方土地購入が急増→地価高騰 |
| 1973年の第1次オイルショック | 「狂乱物価」(1974年の消費者物価上昇率:約23%) |
| 財政支出拡大 | インフレの悪化に拍車 |
「列島改造」は地方票獲得と土建業の活況を生んだが、同時に「土地転がし」と高インフレを招いた。1974年11月、文藝春秋への「田中角栄研究——その金脈と人脈」掲載をきっかけに世論が沸騰し、田中は退陣した。
ロッキード事件と「闇将軍」

1976年、米上院の公聴会でロッキード社(米航空機メーカー)が日本に工作資金を提供したことが発覚。田中角栄は首相在任中に同社から5億円の賄賂を受け取った疑いで逮捕・起訴された(1976年7月)。
判決直後の衆議院選挙(1983年12月)で田中は新潟3区でトップ当選(得票率60%超)。以後も「闇将軍」として自民党の派閥政治を動かし続けた。
1987年2月に脳梗塞で倒れ、政治的影響力は急速に低下。1993年12月16日、75歳で死去。最高裁での無罪確定を見ることなく終わった(最高裁は2000年に自民党系議員の上告を棄却、有罪が確定した)。
まとめ:功罪を一人に集めた「日本の縮図」
田中角栄は戦後日本の「高度成長期の欲望」を体現した政治家だ。地方振興・カネと票の交換・土建国家・金脈政治——これらを「一人の人物」として語れるほど、田中に凝縮されていた。批判も賛美も同じ人物に向かう理由がそこにある。
「田中なき後の自民党」は「田中的なもの」を中央集権から外郭団体・業界団体に分散させ、より見えにくくしただけだという見方もある。




コメント
万人に対する愛を持った天才
金権政治で外国勢力とか革命勢力からのハニトラとマネトラを防いだ
クリーンにやろうとすると金が不足するからそこでマネトラかかる
田中角栄に金で救われた人は恩義で結ばれる
角栄の目的が日本と周辺国、世界の幸福にあったから、恩義で結ばれた議員たちもその流れを促進する
クリーンっていうのはハニトラとマネトラに対して弱体化するってこと
例えば、金の動きがC国内で行われれば、どんなサービスを受けようと外には漏れない
しかし、サービスを受けた議員や企業団体はそのために国を売る
金を払ってくれるやつを主人と見做す
日本は文科省100年計画があるから愛国心も教えないし、日本人同士の分断を促進する
だから他のやつが売る前にあなたが売らないと損ですよ、という言葉に容易く飛びつく
高等小学校出てますね。高等小学校は義務教育じゃないし
高等小学校は現在の学校制度の年齢だと中学相当。
その後で建築学校に行って一級建築士の資格取ってるし。
藤子不二雄Aは漫画家になる前に新聞社でサラリーマンやってたけど、
あの時代は中卒で新聞社に入社できた。
現代の学歴の価値観とあの時代は違う。