1964年、人民解放軍元帥・林彪の指示で1冊の小冊子が編まれた。毛沢東の発言を抜き出しただけの、たった270ページの本だ。
この本はのちに聖書に次ぐ史上2位の発行部数に達したとする説があるほど刷られ、中国全土で「読む前にお辞儀」を強制する対象になった。編纂を主導した林彪自身は、その7年後、自分が書いた序文ごと本から消されることになる。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | 《毛主席語録》(日本語では「毛沢東語録」) |
| 編纂指示 | 1964年、林彪(国防相・人民解放軍総政治部)が機関紙『解放軍報』編集部に指示 |
| 序文執筆 | 林彪本人(1966年8月版より収録) |
| 累計発行部数 | 1966〜71年だけで公式版10億部超。総計は諸説あり最大50億部(聖書に次ぐ史上2位の説も) |
| 公式印刷停止 | 1979年2月(中国共産党が正式に印刷中止を指示) |
背景:学習教材が「持たないと非国民」の必携品になった
発端は1959年、林彪が人民解放軍内で始めた毛沢東思想の学習運動だった。当初は兵士向けの教材にすぎなかった。毛沢東の原文はそのままでは難解で、読み書きに不慣れな兵士も多かったためだ。
1965年、林彪は全兵士に無料配布を命じた。1966年に公式版が出ると同時に文化大革命が始まり、この小さな赤い本を持たずに外を歩くことは、政治的に危険な行為になった。
読む前にお辞儀、読んだあと万歳三唱——本ではなく儀式の道具だった

文化大革命が始まると、この本は「読む」だけの存在ではなくなった。多くの職場・学校で「早請示晩汇報(朝に誓い、夜に報告する)」という儀式が義務化され、毛沢東の肖像の前で本を掲げて三礼し、「万寿無疆(永遠の命を)」と唱えることが日課になった。
✅ 朝:毛沢東の肖像に向かって、その日の「革命への貢献」を誓う
✅ 昼:本を掲げて感謝の言葉を唱える
✅ 夜:その日の成果と反省を報告する
✅ 公の場(広場・パレード)では本を手に「忠字舞(忠誠の踊り)」を踊る——炭鉱労働者から纏足の高齢女性まで対象
成果:37言語・推定10億部超という「宗教書並み」の流通量
1967年末までに約7億部が刷られたとされ、1966〜71年の間だけで公式版は10億部を超えた。37の言語に翻訳され、点字版まで作られた。
正確な総発行部数は諸説あるが、20世紀末までの累計を最大50億部とする推計もあり、この場合「史上、聖書に次いで最も刷られた本」ということになる。
末路:序文を書いた男は、7年後に「反革命」として消えた
1971年9月13日、林彪はモンゴル上空で搭乗機を墜落させ死亡した。毛沢東暗殺計画が露見し国外逃亡を図った末とされる(詳しい経緯は本人の伝記で扱う)。
| 1971年9月13日より前 | 1971年9月13日より後 |
|---|---|
| 全版に林彪の序文が印刷されている | 序文が削除される、または所有者自身が墨で塗りつぶす |
| 公の場での引用・唱和が日課 | 引用機会が急速に減少。個人崇拝の中心的な道具としての役割を終える |
現在につながる意味:儀式は消えても、本は骨董市場で生きている
1979年2月、共産党は正式に印刷停止を指示した。だが本自体が消えたわけではない。現在、初期版や希少なバリエーションは欧米のオークション・古書市場で「レア物」として取引されており、状態の良い1966〜67年版のセットには高値がつくこともある。
かつて「持たないと非国民」だった本が、半世紀後には収集家が探し求めるコレクターズアイテムになった——毛沢東個人崇拝の実物証拠は、皮肉にも資本主義的な市場で値段をつけられている。
💀 神を作った男は、神が要らなくなったら真っ先に消される
10億部超という数字も、朝晩の儀式も、すべて林彪が毛沢東を「神格化」するために作った仕組みだった。だが仕組みを作った本人は、その神格化の頂点に立つ男に牙をむいたとされ、序文ごと歴史から塗りつぶされた。
個人崇拝の道具を作った人間ほど、その道具に自分の名前が残らないことを知らない。林彪が書いた序文は、彼が死んだ瞬間に真っ先に切り取られる紙になった。




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