時価総額が一時世界一に達し、世界中のAI革命の頭脳を独占するNVIDIA。その頂点に立つのが、年中「黒の革ジャン」を着用したカリスマCEO、ジェンスン・フアン(Jensen Huang)だ。
今や「AI時代の絶対的覇者」として崇められる彼だが、その歩みは順風満帆とは程遠い。むしろ「あと一歩で倒産」という崖っぷちを何度もサバイブしてきた超弩級のギャンブラーである。特に、初期のNVIDIAの命を救ったのは、日本のゲーム会社「セガ」と一人の日本人経営者だった。肩書ではなく、エピソードでこの男をたどる。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ジェンスン・フアン(Jensen Huang / 黄仁勲) |
| 生年月日 | 1963年2月17日(台湾・台南市生まれ) |
| 学歴 | オレゴン州立大学 電気工学学士、スタンフォード大学 電気工学修士 |
| 創業の原点 | 1993年、30歳の誕生日にファミレス「デニーズ」でNVIDIAの構想を立ち上げる |
| トレードマーク | 常に着用する「黒のレザージャケット」。どんな猛暑でも決して脱がないことで有名 |
| 資産(2026年時点) | 十数兆円規模とされる(NVIDIA株の高騰により世界トップクラスの富豪へ) |
伝説①:シャイな少年を鍛えた「デニーズ」とポテトの上の大志
9歳で台湾から渡米し、過酷な寄宿学校での生活を経験したジェンスンは、少年時代は極めてシャイで、人と話すのが苦手だったという。
そんな彼のコミュニケーション能力を開花させたのが、ファミリーレストラン「デニーズ(Denny’s)」でのアルバイトだった。皿洗いから始まり、最終的にはウェイターとして接客をこなす中で、彼は「人前で堂々と話し、良好な関係を築く技術」を実戦で学び取った。
そして1993年、当時半導体企業で働いていたフアンは、共同創業者となるクリス・マラコウスキー、カーティス・プリームと再びデニーズに集まった。無料のおかわりコーヒーとポテトを前に、彼らは「3DグラフィックスをPCで動かすためのチップを作る」というアイデアを練り上げ、NVIDIAを創業した。文字通り、デニーズのテーブルから世界最大のAI帝国が産声を上げたのだ。
伝説②:セガの「漢気」が救った倒産危機
NVIDIAの初期は失敗の連続だった。最初の製品「NV1」は独自仕様が仇となって全く売れず、競合のマイクロソフトが推進するDirect3D規格に敗北。資金が底をつきかけ、社員のリストラを余儀なくされる状況に陥った。
この絶体絶命の窮地で、救いの手を差し伸べたのが当時アーケードゲームや次世代ゲーム機「ドリームキャスト」の開発を進めていた日本の「セガ」だった。
セガは次世代グラフィックスチップ「NV2」の共同開発として、NVIDIAに500万ドル(当時のレートで約5〜6億円)の資金提示を行っていた。しかし、開発開始から1年後、フアンはNVIDIAの技術路線(四角形ポリゴン)が業界標準(三角形ポリゴン)から外れており、このまま開発を進めても製品は失敗し、NVIDIAもセガも道連れになることに気づいてしまう。
フアンは決断した。当時セガの経営を担っていた入交昭一郎(いりまじり しょういちろう)氏の元に直接出向き、正直にこう告げたのだ。
「セガの要望通りのチップは作れません。開発からは手を引く必要があります。しかし、契約金(500万ドル)は全額支払っていただけないでしょうか。そうでなければ、NVIDIAは即座に倒産します」
開発を放棄した上に、資金をそのままくれという無茶な要求である。しかし、入交氏はフアンの正直さとNVIDIAの技術力を見抜き、この提案を受け入れて資金を支払った。さらに、セガが保有していたNVIDIA株を後に売却(約1,500万ドルとされる)することで、セガ側も最終的には投資としての大きなリターンを得ることになる。
この「セガの500万ドル」によってNVIDIAは数ヶ月の延命に成功し、その間に業界標準に合わせた伝説のチップ「RIVA 128」を開発。これが世界中で大ヒットし、倒産寸前だったNVIDIAは奇跡の復活を遂げた。
入交氏は元ホンダの技術者で、F1エンジン開発を率いたのち副社長まで務め、1993年にセガへ移った経営者(後にセガ社長)。フアン本人がこのエピソードを講演やインタビューで繰り返し語っており、「入交さんの理解がなければ今日のNVIDIAはなかった」と公言している。開発中止を正直に告げた相手に全額を払う——日本のゲーム産業全盛期の度量が、のちのAI革命の土台を偶然支えた形だ。
伝説③:孫正義がかつて筆頭株主に?「早すぎた売却」で流した涙
日本との関係において、もう一つ外せないのがソフトバンクグループの孫正義氏とのエピソードだ。
実は2017年、ソフトバンクはNVIDIAの株式の約4.9%(当時約40億ドル相当)を保有する主要株主となった。さらに孫氏は、フアンに対して「NVIDIAを非公開化してソフトバンク傘下に収め、君がグループ全体のAIプラットフォームを率いてくれ」と買収提案まで行っていたという。
しかし、ソフトバンクは投資ポートフォリオの整理などから、2019年にNVIDIA株をすべて売却してしまった。この売却でソフトバンクは約33億ドルの利益を得たものの、もし売却せずに保有し続けていれば、その株式価値はのちに桁違い(各種試算で1,000億ドル超)に膨れ上がっていた計算になる。
2024年11月のNVIDIA AI Summit Japanでの対談で、フアンが「マサ、一緒に泣こうか(We can cry together)」とジョークを飛ばすと、孫氏がフアンの肩に頭を預けて泣き真似をする姿が世界中で話題となった。
なお後日談がある。ソフトバンクはその後NVIDIA株を買い戻していたが、2025年10月には保有分すべてを約58億ドルで再び売却し、資金をOpenAIへの大型投資に振り向けたと開示している。「泣くほど後悔した銘柄」を、次の勝負のために二度手放す——孫氏らしい豪腕の使い方だ。

謎:「黒の革ジャン」は暑くないのか?
ジェンスン・フアンの代名詞といえば、常に着ている黒のレザージャケット(革ジャン)だ。
スティーブ・ジョブズの黒のタートルネックや、マーク・ザッカーバーグのグレーのTシャツと同様に、「朝に何を着るか迷う時間を省き、意思決定のエネルギーをセーブする」ためのものと言われている。
しかし、彼のこだわりは徹底している。台湾の蒸し暑い夏の大規模な登壇イベントであっても、頑なに革ジャンを脱がない。理由を聞かれた際には「常にクール(格好良く/冷涼に)でいなければならないからね」と笑顔でかわしたという逸話もある。ちなみに一着を着回しているわけではなく、家族が選ぶトム・フォードなどの高級ブランド品を複数着用しているとされる。
💀 ジェンスン・フアンが示す生存の「仕様書」
フアンの経営哲学を一言で表すなら、彼自身がスタンフォード大学の対談(2024年)で語ったこの言葉に尽きる。
「君たちに『十分な苦難と苦痛』を経験してほしい。偉大さは知性から生まれるのではない。苦難をサバイブした性格から生まれるからだ」
NVIDIAは創業以来、何度も競合に敗北し、ロードマップを見誤り、倒産の危機に瀕した。しかし、そのたびに「自らの技術が世界をどう変えるか」という確信を曲げず、苦痛に耐え忍んで投資を続けた。
現在の「AI半導体一強」という果実があるのは、彼がデニーズのテーブルから、そしてセガの契約金から始まった泥臭いサバイバルを生き抜いたからだ。スマートで洗練されたエリートたちがひしめくシリコンバレーにおいて、最も「泥臭く、執念深い」ギャンブラーが世界を制したのである。




コメント
さすがセガ(ほかの企業の話は目そらして)セガは世界を救う
じゃ、セガあらたなハード作るときに起用できるね(平行世界ではあるかもしれん)