2014年9月28日、香港政府本部前で警察が催涙弾を87発撃った。狙いは座り込みをしていた学生たちを蹴散らすことだったが、結果は逆だった。催涙ガスから身を守るための傘が、そのまま運動のシンボルになり、最大20万人が街に出て金鐘・旺角・銅鑼湾の3拠点を79日間占拠した。
だが結末は呆気なかった。2014年12月15日、警察が最後の拠点を撤去して運動は終わる。北京からの譲歩は一つも引き出せなかった。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| きっかけ | 2014年8月31日、全人代常務委員会が2017年行政長官選挙の枠組みを決定 |
| 占拠期間 | 2014年9月28日〜12月15日(79日間) |
| 占拠拠点 | 金鐘(アドミラルティ)・旺角(モンコック)・銅鑼湾(コーズウェイベイ) |
| 最大動員 | 最大約20万人 |
| 学生リーダー | ジョシュア・ウォン(黄之鋒、当時17歳)ら |
| 結果 | 北京側の譲歩なし。選挙制度は変わらず終了 |
発端は「候補者を北京が事前に絞る」という一枚の決定
2017年の行政長官選挙は、香港基本法の約束どおり「普通選挙」で行う予定だった。だが2014年8月31日、全国人民代表大会常務委員会(全人代常務委)が下した決定は、1200人からなる「指名委員会」が過半数の支持を得た2〜3人だけを候補者として絞り込み、市民はその中からしか選べないというものだった。習近平体制下で示されたこの枠組みに、香港の学生・市民団体は「これは普通選挙とは呼べない」と反発した。
| 項目 | 香港側の要求 | 全人代常務委の決定 |
|---|---|---|
| 候補者の絞り込み | 市民・政党が自由に擁立 | 1200人の指名委員会が2〜3人だけ選定 |
| 候補者の資格要件 | 特に制限なし | 指名委員会の過半数の支持が必要 |
催涙弾87発が「雨傘」を運動のシンボルに変えた
学生団体「学民思潮」と大学生連合会による座り込みは当初、政府本部前の限られた範囲で行われる小規模な抗議だった。だが2014年9月28日、警察が解散を強制するために催涙弾を87発撃ち込んだことで状況は一変する。催涙ガスから顔を守るために市民が広げた雨傘が、そのままメディアと世界に向けた運動の象徴になった。怒った市民が加わり、占拠は金鐘だけでなく旺角・銅鑼湾の商業地区にまで広がった。
9月28日:警察が催涙弾87発を発射、占拠開始(金鐘・旺角・銅鑼湾)
10月:政府と学生代表の対話が数回行われるも平行線
11月:旺角の一部で強制撤去、衝突が続く
12月11日:金鐘の主拠点を警察が撤去
12月15日:銅鑼湾の最終拠点を撤去、運動終結
79日間の代償と、得られたもの
最終拠点だった銅鑼湾では、大半の占拠者が警察到着前に自主的に撤収し、居座り続けた約20人だけが逮捕された。占拠中、交通が2カ月半にわたって麻痺し、周辺の商店は営業への打撃を訴え続けた。
最大20万人が79日間、街を占拠した。だが選挙制度の枠組みは、8月31日に決まったまま一文字も変わらなかった。
まとめ
雨傘運動は制度を一つも動かせなかった。それでも5年後の2019年、逃亡犯条例改正への反対デモとして同じ世代がもう一度街に出ることになる。「平和的な占拠では何も変わらない」という2014年の教訓が、2019年の運動の激しさを決めた側面がある。
全体像は【香港】「50年不変」の約束はなぜ23年で終わったのかで概観できます。
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