1958年、毛沢東は「穀物を食い荒らす害獣」としてスズメを大量に殺す運動を全国で展開した。だが実際にスズメが食べていたのは穀物だけではなく、穀物を食い荒らすイナゴだった。天敵を失ったイナゴが大発生し、農業生産はかえって落ち込んだ。
「害虫を消せば豊作になる」という単純な発想が、生態系を通じて自分自身に跳ね返ってきた——この一件は、後の研究で大飢饉の被害の一部にまで数値化されている。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 運動名称 | 四害駆除運動(除四害運動)。対象は「ネズミ・ハエ・蚊・スズメ」の4種 |
| 正式発動 | 1958年2月12日(構想自体は1955年の農業政策文書に遡る) |
| スズメの駆除方法 | 鍋・銅鑼を叩き続けて着地させず、飛び疲れて落下したところを捕殺。巣・卵も破壊 |
| 推定捕殺数 | 資料により「2億羽以上」〜「20億羽超」まで幅がある(当時の当局発表値と後年推計の差) |
| 方針転換 | 1960年、スズメを駆除対象から外し「南京虫(トコジラミ)」に差し替え |
背景:なぜスズメが「四害」に含まれたのか
四害の発想自体は1958年に突然出てきたものではない。1955年に毛沢東が示した農業政策の中で、伝染病を媒介するネズミ・ハエ・蚊とあわせて、穀物を食べるスズメの駆除がすでに掲げられていた。毛沢東のもとには、農民から「スズメが種もみや穂を食べて収穫を減らしている」という不満が届いており、当局は「スズメは資本主義の公共の敵だ」とまで表現して駆除を正当化した。
1958年は大躍進政策のもとで農業増産の数値目標が現場に強く課されていた時期と重なる。害虫・害獣を一掃すれば収穫が増えるという発想は、増産目標を達成したい現場の意向とも一致しやすかった。
一部の生物学者は、18世紀プロイセンで行われたスズメ駆除がかえって害虫の大発生を招いた前例を挙げ、同じ失敗を懸念していた。しかし当時の政治的機運の中で、この警告が政策変更につながることはなかった。
「鍋を叩いて飛べなくする」——大衆動員の実態
スズメ駆除は一部の専門部隊ではなく、5歳以上の子供を含む国民のほぼ全員が動員される全国一斉行動として実施された。手法は単純で残酷だった。
① 住民が一斉に鍋・銅鑼・太鼓を叩いて音を出し続ける
② スズメが音に驚いて飛び立つが、どこにも着地できない状態が続く
③ 飛び続けたスズメは体力を消耗し、力尽きて地面に落下する
④ 並行して巣を壊し、卵を割り、雛を駆除する
この一斉行動は数日にわたり中国各地でほぼ同時に行われ、当局はこれを「大衆運動の成果」として大々的に報告した。
イナゴが押し寄せた——生態系の逆襲と方針転換

スズメは穀物を食べる一方で、イナゴなどの昆虫も大量に捕食していた。天敵のスズメが消えたことで、イナゴをはじめとする害虫の個体数が急増し、農地を襲った。駆除で守ろうとした穀物が、別の害虫によってさらに食い荒らされる皮肉な結果になった。
| 状態 | 農地への影響 |
|---|---|
| 駆除前 | スズメが種もみを食べる一方、イナゴ等の害虫を捕食し個体数を抑制 |
| 駆除後 | 天敵不在でイナゴが大発生。穀物への食害がスズメ在来時より深刻化 |
鳥類学者の鄭作新(チョン・ツォシン)らの指摘を受け、当局は1960年、スズメを四害の対象から外し、代わりに南京虫(トコジラミ)を四害に加えた。着手からわずか2年での方針転換だった。
学術的に測られた代償
この政策の影響は長らく逸話として語られてきたが、近年はシカゴ大学の研究者らが具体的な数値で検証している。エヤル・フランク氏らのチームは、スズメの生息密度が高かった県ほど、駆除後の穀物収量が大きく落ち込んだことを統計的に示した。
同研究では、スズメの生息密度が高かった県で、駆除後にコメの収量が約5.3%、小麦の収量が約8.7%落ち込んだと推計されている。「害虫対策」のつもりで行った政策が、統計的にも生産減少の一因として跡付けられた格好だ。
現在につながる意味
四害駆除運動は単独の失政ではなく、同時期に進んでいた大躍進政策全体の生産至上主義と、自然を「征服すべき対象」とみなす発想が具体化した一例として語られることが多い。犠牲者数の推計が大きく割れる大飢饉(推計1,500万〜5,500万人)の原因は複合的で、この運動だけが唯一の要因ではない。だが「一つの生物種を敵と決めて排除する」という発想が、生態系全体を通じて予期しない形で跳ね返ってきた事例として、現在も環境政策・公衆衛生政策の教訓として引用され続けている。
💀 「害虫ゼロ」を目指した結果、害虫が増えた
スズメを消せば穀物は守れるはずだった。だが実際に起きたのは、天敵を失ったイナゴの大発生と、それによる収量のさらなる落ち込みだった。
「敵」を一つに単純化して排除すれば問題は解決する——その発想そのものが、生態系という複雑なシステムの前では機能しなかった。2年で方針転換に追い込まれたことが、この政策の答え合わせだ。




コメント
鄧小平が日本の製鉄所を視察して これと同じものを作ってくれと懇願した
大躍進の時 製鉄に失敗した経験がある